『異端の福祉』S1グランプリ 受賞作品【 銅賞 】森川たか子(就労継続支援B型あぐり工房 サービス管理責任者)

高浜社長へのお手紙 / 森川たか子(就労継続支援B型あぐり工房 サービス管理責任者)

「異端の福祉」を読んでの感想文ではありますが、高浜社長へのお手紙になってしまいました。タイトルをお手紙にしたことをお許しください。自分の率直な思いをお伝えしたいと思います。

私は、福祉の職業に就いてから16年になります。「介護職員基礎研修」の第1期生で資格を取得してからは、訪問介護、放課後等デイサービス(管理者)、老人介護デイサービス(24時間対応)、訪問介護(重度訪問介護を含む)のサービス提供責任者の後、現在の就労継続支援B型のサービス管理責任者として勤務しております。

老人介護業務は一部経験しておりますが、7割は障害者福祉に携わってきました。重度訪問介護では、難病の方や重度障害の方の支援を行ってきました。

本を読みながら、いろんな思い出がよぎって、高浜社長が福祉に就かれた経緯を知って、自分の福祉への思いや喜び、誇りが胸にこみ上げてきました。土屋という会社を起業して下さったことへの感謝。M&Aで、土屋という会社に入れたことを誇りに思えました。

最初は管理者がなぜ、M&Aをしたのか、不安と寂しさを感じました。自分たちが数年間作り上げて来た事業所がどう変わっていくのかが一抹の不安でした。私はただ、管理者の決断に付いていくしかなかったのですが、今は感謝しております。

本の中で「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」との文言があります。私たち親子(息子)は、土屋の傘下に入れて本当に報われました、としか表現できません。25年間、母子家庭で、生活の為だけに働くことを選択してきました。

母の介護をきっかけに福祉の世界に入って働き始めて、低所得を覚悟で続けてきて、ここにきてやっと報われたと思いました。

息子は30代後半ですが、低所得では結婚も考えられない状況でした。同じ事業所の違う部署で、親子で働いているのは異例ではありますが、共通の話題がありますので、会話が出来る事で救われることもあります。高浜社長に感謝を伝えたかったことの一つです。

二つ目は、以前、私が訪問介護の事業所でサービス提供責任者として2年間、新規立ち上げから携わってきた中でのことです。息子さんが交通事故で重度障害を負い、寝たきりとなり、重度訪問介護サービスを受けていらっしゃいましたが、ご家族が痰吸引をされ、私たちは機械を使っての入浴介助を二人体制で行っていました。

私たちの声が聞こえているかどうかもわからない、でも時々わらっている顔を見るたび、声をかけ、挨拶したり、天気だったりを話しかけながらの介護でした。

お母さんと話すたびに言われたことは、「今はまだ、私たちが元気で、息子の面倒を見られるうちはいいけど、どちらかが介護状態になったり、亡くなった後のことを考えるとどうしていいかわからなくなります。この子を見てくれる施設がないから」と。

そして、「なんども国会議員の方に現状を話したり、医療付きの介護(終身)の施設を作ってほしいとお願いしたが、返事は帰ってこなかった」と嘆いておられました。

今、それを聞いたのであれば、ホームケア土屋という重度訪問介護事業所があって、自宅で24時間、訪問介護してもらえますよと教えてあげられる。安心してくださいと伝えたい。

もう一人、ベーチェット病の男性の重度訪問介護をしていた時、高齢のお母さんが一人介護しながら暮らされていました。このお家も二人体制で支援に入っており、他の訪問介護事業所も併せて3ケ所で介護を行っていました。

お母さんも高齢の為、訪問介護ヘルパーに対して厳しい要望や、無理難題を言われたこともあります。介護される息子の為に何とか喜ばせたい、車いすでも一緒に出かけたい、その思いに応えてあげたいと、私も心から思いました。

介護サービスが受けられる範囲での内容で対応するも様々な問題を抱えていました。そんな中でも、日帰りバス旅行に、お母さんと私を含めたヘルパー二人で移動支援を受け入れました。行先は鳥羽水族館と伊勢神宮。

一番大変だったのが、トイレ、おむつ交換。大柄の方で、体重80キロ。男性ヘルパーが体を支え持ち上げると一気におむつ交換をする。外で寝かせてのおむつ交換はできません。男性ヘルパーと何度も練習を行い、失敗(転倒)のないように臨みました。大変でしたが、楽しい日帰りバス旅行になりました。あの時の笑顔が今でも脳裏に残っています。

その何ケ月か後に、風邪で肺炎を起こし、緊急入院されてから、訪問介護の支援はなくなってしまいました。その1年後、訪問介護事業所を退職して今の事業所で働くことになった時、お母さんからお電話をいただき、「森川さんにはほんとうにお世話になり、ありがとうございました」と言われました。

この仕事をしていて本当に良かったと思える瞬間です。お礼を言われるために仕事をしているのではありませんが、感謝の思いを伝えたいという心に触れて、私たちは仕事の喜びや生きがいを感じながら生きているんだと思います。

私はこの福祉の仕事をしていて、今までたくさんの「小さな声」を聴いてきたような気がします。今も、障害のある方たちと一緒に「これからの未来」を考え、明るい未来へのお手伝いが出来たらと思っています。

この「異端の福祉」という本を自分の宝物として、誇りをもって、私が70歳まで働かせてもらえるように頑張っていきたいと思います。感想文になっていなくて申し訳ありません。これからも土屋の職員として楽しく仕事をしていきたいと思います。

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