2年前私は、我らが株式会社土屋の創業を記念したコラムの中で、会社を船に例えて、その航海の始まりを「新生土屋号の出帆」と呼ばせてもらいました。
そして、去る8月19日、土屋号は出帆2周年を迎えることができました。この船は今、内海を離れて無事に大海原に出た、というところでしょうか。
この航海が続けられているのは、先ずは、全国各地で、日夜介護ならびに支援サービスを提供してくださっているアテンダントの方々、そして各方面のステークホルダー、関係者の皆様から、様々な大きな支えをいただいているおかげです。そのことにつきまして、改めまして心から深く感謝申し上げたいと思います。
私にとってこの2年間がどういうものだったのかについて述べますと、「目まぐるしい変化」と「充実した日々」の2つの言葉で言い表せるでしょう。また、「早や2年なのか」と「まだ2年なのか」という2つの想いが私の頭の中をグルグルと巡っています。
その間、私自身が「何をしてきたか」、そして「何かを成し遂げられたか」という自問に対しては、「んんんんん・・・・」と唸りつつ考え込んでしまいます。が、その一方で、土屋号は当初、重度訪問介護事業一つを携えて出帆したにもかかわらず、今や高齢者介護、障害者就労支援事業、訪問看護事業、デイサービス、土屋ケアカレッジなどの研修事業、シンクタンク部門である土屋総研、子育て支援事業など、着実にその活動範囲を広げてきています。これだけを見ても、現在の土屋号は、当初付いていた「新生」という接頭辞は既に外れて、「中堅」の域に入っているのではないでしょうか。
その勢いの凄さには圧倒されます。
では、その勢いと歩みの着実さの源は何か。それは言わずもがな「人」です。
先日、防災方面の大家の方とお話をさせていただく機会を得ました。話の流れの中で戦国武将の残した言葉に触れました。
その方はこうおっしゃったのです。
「織田信長は、その独創性と先進性で経営者の鏡みたいに言われることが多いのですが、信長が犯した過ちは、豪華かつ堅ろう、自らの権威を見せつけるような城を建てることに固執して、しかも『人を大事にしなかった』ことにあります。だから彼は天下をとれなかったのでしょう。それと対照的なのが武田信玄です。信玄公は城を持たず、簡単な堀に囲まれた館に住み、『人は石垣、人は城、人は堀、情けは味方、仇(あだ)は敵なり』という言葉を残しています。つまり、家臣たちを信頼し大切に育てたからこそ人望を集め、最強の軍勢を作りえたのです」
この時あの方が、信玄の名言で表現したのは、防災についてです。
設計上どんなに優秀で有効な防災システムを構築できたとしても、それを稼働・運営するのは「人」です。そうである限り、その防災システムが最高のパフォーマンスを発揮するには、それを運用する人たちの高い意識と能力、そして命を守り救うことへの強い想いが絶対要件になります。それともう一つの意味としては、防災・減災・復興において最も重要なのは「人と人との繋がり」だということなのでしょう。
このことは会社の運営にも当てはめられます。
我らが船である土屋号も、その組織体制が質的に大分整ってきたように思います。そして今後、航海を続けていくに当たって、これまでよりもさらに多くの力を「システムを運用する人たち」、つまりはリーダーになる人たちを育てることとともに、人と人との繋がりをより強化することに注いでいかなければ、と考えています。
最後に、上の防災の話からヒントを得て、次の2つの言葉を記しておきます。
「人と人との繋がりは、最も優れた最強のインフラである」
「勇将の下に弱卒なし」
(優れた管理者、リーダーの下には強い部下が集まり、育つ)
◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ
脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。
早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。
2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。