私は日々、情報収集のために、できるだけ福祉に関連するTV番組を見るようにしています。あるとき夕食をとりながらなにげなくテレビを見ていると、重度訪問介護を使って自立生活をする難病の女性を取材した番組が放送されました。私の狭い関心のベクトルにヒットし、しばし食い入るように真剣に見入ってしまいました。
その内容は異性介護の是非について、身体の動かない重度障がい者が自立生活を始める以前に過ごしていた病院や入所施設で体験した出来事を赤裸々に語りながら問うというものでした。
この類の話は仲間内でも「地域生活を送る先輩たちの自立に踏み切った理由だ」というような時に話題にのぼりますが、この番組を見たことをきっかけに、人間の尊厳とは何なのかということを深く考えさせられました。
障がいの有無や程度に関係なく、女性も男性もLGBTQの人たちも含め、すべての人が尊重される世の中を実現していきたいと改めて感じさせられる内容でした。
その番組を見た後で、ふと自分が20代の頃にした経験を思い出しました。ちょうど家族が私の入浴介助に大変さを感じ始めており、毎日ではなくても家族以外の人に手伝ってほしいと両親が考え、何かそういったサポートを受けられる社会資源はないかと地元の数少ない福祉サービスを探していたときのことでした。
特別養護老人ホームに併設されたデイサービスの職員が、ホームの浴室を使って地域に住む重度の身体障がい者に入浴の機会を提供してくれるという公的なサービスを見つけたのです。自宅と施設の往復の送迎つきで入浴をサポートしてくれるとあって、「これは我が家のニーズにぴったりだ」と飛びつくように利用を開始しました。
ところが実態はひどいものでした。デイサービスに通う高齢者の出入りがない時間帯にあわせ、施設から自宅に迎えの車が来ます。自宅の玄関先でバイタルを測り、施設に到着すると、職員は再度バイタルチェックをした後に、自分で自分の身体を動かせない人達を裸にし、タオル一枚をぺらっとかけただけの状態で廊下に並べます。そして高齢者の入浴の合間を縫って芋の子を洗うように流れ作業でどんどんと入浴をさせていくのです。
入浴前には必ず排泄も済ませるシステムになっていましたが、排泄介助をしてもらうのに同性の職員を選ぶことはできませんでした。当時は若かったので生理と重なる日もありました。そんなときでも入浴の順番が最後になるだけでなんの配慮もなく、排泄も身体を洗うのも機械で浴槽に浸かるのも、全て男性職員でした。
20代の半ばごろであった私はとても耐えられず、女性職員に対応してもらえるよう強く求めました。職員間で協議をしたのちに一応同性介護が認められはしましたが、「そんなわがままを言っていると、一生お風呂に入ることはできなくなるぞ」といったこれ見よがしの会話が聞こえてきました。
そのとき「障がい者差別と女性差別のダブル差別を受けながら生きていかなければならない運命なのか」と現実を思い知り落胆し、途方にくれたことを昨日のことのように鮮明に覚えています。
私の身体を洗ったり、機械で浴槽に入れたり、排泄介護をしたり、脱衣をしたりする職員は確かに女性に変更されましたが、脱衣場には同じ時間帯に着替えている高齢者や障がい者が何人もいます。
ちらちらと風にはためくカーテン越しには男性利用者も男性職員も当然おり、浴室も同様のため、同性介護が保障されたとは到底いえない状況でした。
その当時は若くて大人しい障がい者であったということももちろんありますが、そこでしみじみ思ったことは、「この状況の中でこれ以上の要望や要求を言っても理解や納得を得るのはむずかしい。それどころか『その主張は単なるあなたのわがままで、他の人はみんな我慢してるのにどうしてあなたにはそれができないのか』という私に対する批判にしかなっていない」ということでした。
そうだとすればここを利用するという方法を使わず、家族の手も借りず、自宅で自分一人で入浴すればいいと思いました。そのための努力の方が何倍も有益になると心に決め、その施設での入浴を辞退したのでした。それが地域での自立生活の道へ進む一番のきっかけとなったことを改めて思い出しました。
その当時、入浴問題をどう解決したかというと、大学生のボランティアさん達を探して、土日に外出の同行支援した帰りにお風呂まで入れてもらうことにしたのです。
私が成長し大人になるにつれ、両親も歳をとり、だんだん入浴介助以外のこともままならなくなってきたため、自立生活に移行する二年ほど前からは毎日夕方から翌朝社会参加活動にでかけるまでの時間、学生さんに来てもらい、日常生活をサポートしてもらっていました。
しだいにその善意に頼って日々の生活を送ることに限界を感じるようになった私は、重度訪問介護の制度の充実を訴える活動に参加しながら今の生活スタイルを地道につくりあげてきたのです。
この番組を見たことで重度訪問介護の制度の重要性を再認識する良い機会となりました。尊厳のある人生を送ることをこれからも忘れず、重度訪問介護のサービスを受けながら自立生活を続けていこうと思います。
◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生
養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。
◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動