今回のパラリンピックを観ての気付き / 杉隆司(ホームケア土屋 関西 ブロックマネージャー)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

今回の東京オリンピックは結構楽しんで観る事が出来ました。
帰宅しますと小学生の娘達から〇〇選手が勝った、負けた、メダルを取ったんだよと会話が始まりました。
これまで野球にもサッカーにもスポーツ競技というものに全く興味を示さなかった娘達から、オリンピックに興味を持つとは全く想像出来ませんでした。

東京オリンピックの閉会式が終わり、さぁ次はパラリンピックに注目しましょうという風潮になりますと、娘から『パラリンピックって何?』と来ました。

私:「身体の一部分が生まれた時からや病気や事故で無くなってしまったり、動かせなくなった人達のオリンピックだよ。腕とか足が十分動かせないと、オリンピック選手と一緒には競争出来ないからね」
娘:『そっか、だから普通のオリンピックと分けてるんやね』

この時は別に何の迷いなく極々普通の説明をしたと思ってました。

しかし、それから数日経過したある日、マルクス・レームというドイツの走り幅跳びの選手は義足を装着しながらもオリンピック金メダリストと変わらない記録を出している、という特集のコーナーを娘と目にしました。
また前回のリオオリンピックでは認められなかったものの、健常者と同じオリンピックでの参加要請も出していたとも知りました。

娘:『オリンピックの方に参加出来ないのは、道具(装具)を使ってるからズルいと思われてるんかな?』
私:「そうかもね」
娘:『でも片方の足が無くて道具付けてる方が跳んだり走ったりするの難しくない?手も足もあって道具付けてたらズルやって言われるのも分かるけど』
私「・・・・・」
娘:「難しい方法で普通の選手と同じ記録出せるんだったら一緒に出たらいいのにね。大会も2つに分けなくていいし」

装具の素材がどうだとか、平等性に欠けるとか、色々小難しい言葉を出してしまいそうでしたが、正直な所上手く納得してもらえる説明ができないなと迷って答えられませんでした。

私自身もパラリンピック自体については知らない事が多く、結局は娘達は夏休み用に小学校から配布されたipadを使って自分たちで調べ、逆に色々と教えてくれました。

・1960年のローマ大会が第1回とされている
・1988年のソウル大会から正式名称がパラリンピックとなった
・2000年のシドニー大会からオリンピック閉会後に次いで、パラリンピックが開催される様になった

知らない内容でしたので勉強になりました。娘のipadを用いた検索スピードの速さにも驚きました。。。

その後はニュース番組のハイライト版が中心となってしまいましたが、パラリンピックもそれなりに楽しんで閉会式も家族で観ていました。私から娘にパラリンピックはどうだった?と感想を聞くと、
『オリンピックもパラリンピックもスポーツのお祭りみたいだし、人数が多くて前半と後半の部で分けるとかだったら分かるけど、病気やケガの人関係なく皆一緒にやった方が楽しそうやね、次の東京オリンピックではそうなってるといいな』と返ってきました。

単にパラリンピック楽しかった?という安易な質問をしたつもりが、上記の答えが返ってきて驚きました。

私は単にスポーツを楽しむという視点でしか見ておりませんでしたが、ある側面からの見方では、障害があるなら 競技=競う以上区別すべき という今の私の思考である以上、いくら協調したほうが良いという方向で物事を考えても無意識に 区分け=区別 していることになります。娘との会話で気付かされ勉強になりました。今回の様な気付きは大事にしていきたいと思います。

東京オリパラ準備局のHPを見ますと、オリンピックの精神について、
クーベルタンが唱えたオリンピズム=オリンピックの精神とは「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」。

近年では従来のテーマである「スポーツ」と「文化」に「環境」が加わり、オリンピックは世界中の人々が地球環境について考える機会にもなりました。アスリートが生み出す興奮と感動、そして環境保護への取り組みが、きっと世界中の人をより強く、固く、結んでいくことでしょう。

※公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会ホームページより転載

上記テーマに「多様性」も追加される日を楽しみにしたいと思います。

 

杉 隆司 (すぎ たかし)
ホームケア土屋 関西

 

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