地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記⑯~地下鉄サリン事件から26年目を迎えて思うこと~渡邉由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私は、この事件が起こった頃はまだ自分が何をしていいのか模索をしていました。やれることがないと思っていた時代で、実家にいたので事件が報道された瞬間から一日中テレビにくぎ付けになり、刻々と事態が深刻化していく一部始終を見ていたことを昨日のことのように思い出します。

その当時は東京に電車で出ていく事は本当に少なかったので、霞が関駅で死傷者が多数出ているとか中野坂上駅も同様だとか言っていても、私には身近なこととして感じられませんでした。

その後、人生一念発起して決意をし、東京に自立生活という形で拠点を構えました。重度障がいがありながらも、介護者やボランティアさんなど様々な人の手を借りて、一人暮らしを展開するようになり、社会参加活動のため霞が関も中野坂上も毎週通う場所となっています。

たった26年前にそんな恐ろしい毒ガスを撒かれて被害者がたくさん出て、一時都市機能が麻痺してしまったことなど微塵も感じさせない日常が平穏に流れています。

事件当時は、遠くでなんだか分からないけれど大変なことが起こって日本の中枢が揺るがされるような化学テロ事件が起こったのだと直感的に感じました。その当時、私の父親や姉も東京に毎日通勤していたので得体の知れない、空気中に散布された毒にやられてはいないかと大変心配したものでした。

後日になって、オウム真理教という宗教団体によって猛毒の化学兵器であるサリンが電車の中やホームに撒かれ、乗客や乗員がそのガスにより中毒症状を起こして倒れたり、亡くなったり、病院に運ばれたりしているのだと分かりました。

オウム真理教は宗教という名の隠れ蓑を利用して、やれ教祖は空中浮遊ができるとか様々なことを言葉巧みに言って、医師免許を持っていたり、化学兵器を作ることのできる知識を有していたりと頭のいい人たちを教団員として教団に囲い込み、狂気の武装集団へと発展していったのです。

みんな前途のある若い人ばかりで、その能力が正しいことに使われていたならば、もっと今の日本は良い国となっていたと思うと残念でなりません。

松本智津夫元死刑囚は自身が重度の視覚障がい者でほとんど目が見えておらず、また性格も元々少し変わっていたために仲間から孤立していたようです。さらに、目指したことが上手くいかず、何度となく挫折を経験したようです。それが引き金となったのでしょうか?考え方や思想が大変歪んだものになっていったようです。

1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起こり、その前年の1994年6月27日にオウム真理教は松本サリン事件を引き起こしています。亡くなられた方も多数おられ、心からご冥福をお祈り申し上げます。

一命は取り留めたものの、様々なサリン中毒による重度の後遺症と闘いながら生き抜いた末にお亡くなりになった河野澄子さんや浅川幸子さんは、この事件に巻き込まれてさえいなければ重度障がいを持つことなどなく、普通に健常者として一生をもっと長く生きることができる人たちだったのです。

お兄様や旦那様を中心とするご家族が献身的に介護をされている姿を映像で見るにつけ、感銘を受けました。河野さんなどは旦那さんが当初実行犯などと疑われたりして散々苦労されました。その誰にも助けてもらえない苦悩を想像し、思いをはせる時、何とも形容し難い心境に陥らざるを得ません。

今も名前を変えた教団は活動し続けているのだろうか。たまたまその時間にサリンを撒かれた駅にいたとか偶然が重なり、闘病をすることになり、本人だけではなく家族の人生も一変させてしまい普通に暮らせない生活となってしまったのです。

どこにも怒りの矛先を持っていくことが出来ず、ひたすら家族が共に障がいを背負い生きていかなければならない生活はどれほどに辛いものかと考えると心中察するに余りあることと思い、何とも言えず胸が詰まります。

昨年の3月20日で地下鉄サリン事件から25年という節目であったこともあり、当日はたくさんのニュース番組がこの事件のことを取り上げて報道されていました。今の若い世代の人たちはリアルにはこの事件のことを解かりません。それだけ事件の風化が進んでいることがとても危惧される点です。

近代稀に見る未曾有の化学テロ事件を二度と起こさない社会にしていくために私たちに何ができるのか考え続けていきたいと思います。

国は未だにサリン中毒の後遺症で人の目には見えなくても苦しんでいる人々に十分な手厚い社会保障や就業保障、医療保障をして、その苦しみがいかばかりでも和らぐ方策を永続的に講じていくことを約束する責務があるのです。二度とこのような事件が起こらない健全な社会を作っていきたいと思います。

世の中そんなにうまい話はないということを肝に銘じて、カルトやそれに類するものにひっかからない確固たる自分を持って生きていきたいものだとつくづく考える日々です。

その為には、障がい者と健常者が分け隔てなく社会生活を営むことが可能な社会を築いていき、共に支えあうことが大切だと思います。

障がい者の孤立は、歪んだ社会を生み出す原点に繋がっているのです。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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