地域で生きる/23年目の地域生活奮闘記119~大江健三郎さんの死去に伴い考えさせられたこと~ / 渡邉由美子

先日、大江健三郎さんが亡くなられたというニュースが耳に飛び込んできました。私は恥ずかしながら、この方の作品を読んだことがありません。しかし文学に精通していない私でも、彼はとても見識が広く、広島の戦争や沖縄の辺野古基地の問題など様々な社会問題について本を出版したり、晩年まで講演活動をしたりと精力的に活躍されていたことはよく存じていました。

芥川賞やノーベル文学賞も受賞されており、その人生は、はたから見ればこの上なく幸せで、絵に描いたようなエリート街道をまっすぐ進んでおられたようにみえます。

しかしその栄光の人生の裏側に、重度の知的障がいを持つ息子さんとの壮絶な暮らしがあったことも私は知っていました。息子さんとの会話はジェスチャーをしたり、表情から体調や感情を読み取ったりといった言葉に頼らないものだったそうです。

周囲からすれば、彼は88歳まで天寿を全うし、老衰というかたちで、苦しむこともなく穏やかに最期を迎えたといえますが、お父様の死を知らされたとき、息子さんはどのようなことを思ったのか、私は気が気ではなく、インターネットで残された息子さんのことを調べました。

ただ、そのような情報は検索して出てくるはずもなく、お父様亡き後、息子さんがどう暮らしているのか知ることはできませんでした。息子さん自身、とても優れた感性をお持ちで、たくさんの作曲を手がけています。多方面からその才能を買われ、コンサートにも多く招かれるなど、音楽業界では非常に高い評価を得ておられました。日本アカデミー賞の優秀音楽賞や日本ゴールドディスク大賞といった名だたる賞を受賞した実績も持ちます。

しかし彼がその能力を十分に発揮して活動ができていたのには、ご両親の支えやあたたかな育みがあればこそではないかと思えてなりません。我が子の才能を見出し活かすこと、周囲の声に心を乱されることなく落ちついて生活ができる環境を整えること、それらを可能にしてきた優秀な父親の他界という重大な局面を迎え、息子さんは今どのように過ごしているのか、気がかりでなりません。

「よその家庭のことなど、詮索しないほうが良い」といわれてしまうかもしれませんが、とても他人事とは思えない心境に置かれています。

私は今、様々な支援者の手に支えられて23年目の自立生活を送っています。一見確立できたようにもみえるこの生活も、「たとえ明日にでも両親が他界してしまったら、私はどうなるのだろうか?」と思うと、とても平常心ではいられません。そう遠くない将来、その瞬間が訪れることをある程度覚悟はしていても、やはり戸惑い、苦しむと思うのです。

先日YouTubeで、数十年前に大江さんが息子さんとの暮らしについて語った2時間のドキュメンタリー番組を改めて視聴しました。その中で大江さんは人の心理を哲学的に語ったり書いたりしている人でありながらも、生まれてすぐに大きな脳の手術を受け、言葉を介したコミュニケーションが成立したりしなかったりする不確実性をもつ息子とどう向き合ったらいいかわからず、逃げ出そうとしたといった話を率直に語られていました。

「何を望み、何を考え、どう生きたいのか、全く表現することのない我が子を前に何もできず、『沖縄の基地問題を解決しなければならない』ということを大名目に掲げ、東京の自宅を離れようとした。その時はただただ家族としての責務を放棄したかったのが本音である」と語っておられました。

苦難を前にした己の弱さや人間というものの脆さを思い知りながらも、もがき苦しみ、家族として生まれてきた息子を受入れ、たぐいまれな才能を見出し開花させるまでに、哲学的な発想の転換を強いられた一人の父親としての心のうちは、彼の執筆したいくつもの著書に記されています。

付きっきりの世話や介護がなければ生きられないと思っていた我が子に、いつしか人間としての深みや命の尊さを教えてもらい、それらが自身の執筆活動にも多大な影響を与えてくれたと心の底から仰っていた場面がとても印象的でした。

この親子が歩んできた道のりに言葉などいらなかったのかもしれません。息子さんが表現してきた音楽の世界は何にも変えられない、尊いものなのです。親亡き後を迎えた息子さんが作曲活動を継続できていることを願わずにはいられません。ご兄弟が彼の支えとなってくれているといいなと思います。

ノーベル文学賞を取れるような立派な人にも人知れず、深く悩んで放棄したくなるような現実があったことに、ある種、人間としての親近感を抱きつつ、「障がい者は生きている価値がない」などという間違った認識をもつ人たちを、社会を生きる皆が改め、「障がい者にも健常者と同等に生きている価値がある」ということを再認識できる世の中にしていきたいと考えます。

大江健三郎さんが逝去されたニュースをきっかけに、どんなに重い障がいがあっても、その人らしく地域で認め合いながら暮らしていくことの重要性と、それをすることによって、言葉だけではない、本当の意味で多様性を認め合う社会が構築されていくということを再認識することができました。

大江さんは人間の生き様について記した著書もたくさん残されています。その著書をバイブルとして読み進めながら、「これで良いのだ」という自信を持って、当事者や仲間たちと共に生きていこうと思っています。

 

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

関連記事

TOP