諸行無常 / 古本 聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

現代語訳:

祇園精舎の鐘の音には、諸行無常(=全ての現象は刻々に変化して同じ状態ではないこと)を示す響きがある。
(釈迦入滅の時、枯れて白くなったという)沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。
権勢を誇っている人も長くは続かない、まるで春の夜のゆめのよう(にはかないもの)である。
勇ましく猛々しい者も結局は滅んでしまう、全く風の前の塵と同じである。

(ちなみに、祇園精舎とは、インドにかつて栄えたコーサラ国の首都シュラーヴァスティーにあった寺院)

上の数行は、有名な平家物語の冒頭部分ですが、戦国時代初頭の平家の栄華と没落を描写しています。当時栄華を誇った貴族社会の没落と消滅を語るこの文章を読んで「ワクワクしてくる」、「新しい時代の到来、もっと良い世の中の始まりを予感させる」などと言う人は、少なくとも日本人の中にはいないでしょう。私のような天邪鬼のコンコンチキ野郎以外は。大方の人たちがこの文でうら悲しい気持ちになり、哀れや儚さを感じるのは、おそらくは、そこに「諸行無常」という語が使われているからでは、と私は思うのです。そして、その語の宗教的な、正確に言えば仏教的なニュアンスを感じ取るよう、私たちはどこかで、またいつの間にかプログラミングされているからではないでしょうか。そう感じるのが正解なのだと・・・。

では、なぜ私がこんなにもへそ曲がりで、圧倒的多数の人たちの想いや感じ方とは真逆の方向に走ってしまったのか。その理由について述べてみましょう。

答えは簡単です。私は、この文を学校の古文の授業で暗記させられるくらいの年頃、まぁ、通常だと中学生か高校生の頃でしょうか、気が付いてしまったんです。貴族社会が華やかに繫栄していたということは、その陰には数えきれないほどの、飢え死にするほど酷い貧困に喘ぐ人たちが当然いたということに。ましてや、障害者なんて・・・。尤も、ちょうどその頃に観た、芥川龍之介原作・黒澤明監督の「羅生門」の中の登場人物たちが、私の頭の中にあったあの時代の様相についてのイメージを、やや膨らませ過ぎた、ということもあるかもしれませんね。

「諸行無常」という語を説いたのは釈迦です。この教えは、一般には「世ははかないものだ」という意に解釈されているようです。そこには深い意味はあるとは思いますし、宗教的なものの考えを否定しようとは、私は決して思っているわけではないのですが、そのような解釈をすることによって、現世を否定するようになり、生きる意味や生き甲斐、生きる張り合いを失くしてしまうようであれば、これは、仏教を広めようとしている人たちにとっても、それを受け入れようとする民衆のほうにも、お互いの益にならないでしょう。私は、釈迦がそういうことを説くようなマヌケではなかったと信じたいし、また、そのように解釈するよりもむしろ、「諸行」とは「万物」ということであり、また「無常」とは「流転」というようにも考えられますから、諸行無常とは、すなわち万物流転であり、生成発展ということであると解釈するほうが正解なのではないか、と思うのです。言い換えますと釈迦は、日に新たでなければならない、ということを教えたかったのだということです。

世の中がコロナ禍になってそろそろ1年が経とうとしています。

そんな現代においても、ほとんどすべて、と言えるほど様々な事柄が変わってしまい、久しぶりに「諸行無常」という語を思い出し、しみじみと、日に新たということについて、本当にそうだなぁ、と思っている次第です。

ここ数か月で、私自身の生活、特に仕事のやり方がガラリと変わりました。毎日、新幹線に乗って数百キロの距離を移動していたのが、今や遠い昔のように感じてしまいます。

家族、友人、仲間たちの日常も変わりました。あらゆる職業の在り様、医療のあり方が変わりました。私たちの仕事である介護・介助・支援が変わっていっています。

人々の価値観が変わりました。良い方にも大いに、そして悪い方にも若干。あまりにも急激な変化でしたので、さすがに変わったことに誰もが気付いたと思いますし、気付かざるを得ないでしょう。

でも、考えみると、そもそも、世の中、何でも無常ですよね。

一方で、変わらない事実もあります。変わる世の中において、正しい情報を正しく手に入れ、分析し、的確な判断をする能力が、ますます重要になってきているな、と思い、そういう生き方をしたいと改めて強く思っています。

酷暑、大型台風、地震、疫病など生活を脅かすようなことが、私が生きてきた歴史の中でも随分増えたと思います。「どんな状況にあっても変化を受け入れ、新しいものになり、普通に暮らしていく」、と周りの人たちと励ましあい、それを続けていきたいと思わされる今日この頃です。

強制的に生活リズムをスローダウンしたり、家族と過ごす時間が増えたりすることは、本当は私たちにとって有益なことなのかもしれません。でも、その中でも、まだ知らない、隠された宝を探してみようではありませんか。コロナ禍の状況は、私たちがしばらくの間、物理的に小さな空間で生活しなければならないことを意味します。が、しかしながら、私たちが満足いく人生を生きることを止める必要はどこにもないのですから。

実際、私もここ半年間というもの、家に籠りっきりで仕事をする日々が続き、集中しにくいケースも時折あります。気晴らしがあまり出来ないからでしょうね。散歩や買い物ていどの外出もなんだか気が引けて、ストレスを感じることもあります。ただ、家族と対話する時間が増え、短い時間で集中する術も身についたかもしれません。これこそ私が見つけた「隠された宝物」なのかもしれませんね。

このような状況の中でも前向きに、今できること、そして今しかできないことを見つけていこうと思っています。「諸行無常」を「物事の、より良き時代への流転」と捉えつつ。

◆プロフィール

古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ。

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。

旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。 18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

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