地域で生きる/23年目の地域生活奮闘記132~最近のニュースから思うこと~ / 渡邉由美子

私は身体が動かないわりにせっかちな性格で、毎日の生活の中で「あれもしたい」「これもしたい」と、やりたいことが湧き水のようにあふれ出てきます。まだ7月初旬だというのに真夏のような猛暑日が続いており、なんとかやり過ごしながら日々を送っているのですから、もう少し身体も心も落ちつかせ、ゆっくり過ごした方がいいのだと思います。

でも頭ではわかっていながら、それでも焦る気持ちが先立ってイライラしてしまうことが多くあります。

最近はマイナンバーカードの普及に伴うニュースを見るたび、憤りを感じざるを得ません。他人のカードに全く知らない人の個人情報や銀行の口座番号まで登録されてしまい、見ず知らずの人にそれを見られてしまう。

国が推進する制度でそのような不祥事が相次いで起こっていても、デジタル庁のトップが「調査の求めに応じて改善を急ぐ」といった歯切れの悪い会見をしただけで、またすぐに何事もなかったように、制度の普及が推し進められていくのです。

リコールとしてマイナンバーカードを返納した人が2万人もいるといわれているのにも関わらず、同庁トップの河野太郎氏は「返納を申し出たケースは10件くらいあったかな」と、事態の大きさをまるで把握していないのか、もしくはうやむやにしようとしたのか、煮え切らない小さな声で言っただけでした。

話題は少し変わりますが、私は毎月、介護者に支援に入ってもらった実績記録表を自身で区役所に提出しに行きます。デジタル化とともに印鑑レスの進むこの時代に、その書類にはしっかりと印鑑を押すことが求められます。

その上、押印の仕方についても「印鑑は申請時に登録したものでなければならない」「名前の角度が少し曲がっている」「端が欠けている」「朱肉の色が濃すぎる」などと様々な理由をつけて受理してもらえなかったり、再提出を求められたりするため、提出期限に間に合わないこともあります。

そうなると、その制度に登録して私の介護に入ってくれている学生サポーターのお給料が全員分遅れてしまうことになります。

印鑑レスが認められているものと、未だに印鑑を押さなければ公的書類として認められないものとの差が明確でないこと、十分に印影がはっきりしているのに受理してもらえないことがあるなど、「公的文書だからしかたない」と理解しようにも、納得できないことは多々あります。

印鑑ひとつのために、介護に入ってくれた人と郵送代をかけてやりとりをしたり、土砂降りの中、区役所の閉館時間の間際にダッシュで駆け付けなければならなかったりと、つくづく不条理だなと感じる日々です。

税金を使った公的な福祉サービスを受けているのだから、手続きは正確にしなければならないことは重々承知しています。それでも同じように公的資金を用いて運用する制度で、片や一方はデジタル大臣が会見を開き、謝罪めいたことを話せば事が片づき、そのミスを正すためにはさらに多額の税金が投入される。自分の身近な生活との対比をすればするほど、首をかしげずにはいられません。

もしマイナンバーの不祥事のようなことを一般企業が起こせば、重大な過ちを犯した会社の代表取締役や関係者は全員が免職になってもおかしくありません。倒産に追い込まることもあるでしょう。それだけの不祥事でも御国がすることであればお咎めなしにできてしまうのは理不尽極まりないことだと思います。

この原稿を書いているのは7月8日の土曜日。安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃された日からちょうど一年を迎えました。もちろん立場に関わらず、誰ひとりとして殺害されていいはずはありません。しかしそれとは別に、安倍元首相はアベノマスクや森友学園問題など「学園問題等多額」という言葉では言い表せないほどの莫大な額の税金を不正に使い、それが問題視されている渦中にいました。

”悪意をもつ者による銃撃で選挙演説中に死亡”というあまりにセンセーショナルな事件で幕を閉じた彼の人生が美化され、時が経つにつれて英雄のように扱われることに困惑し、嫌悪感を抱きます。

夫人である安倍昭恵さんは健在です。全てをなかったことにするのではなく、償うべき罪は償ってもらいたいと思わずにはいられません。

障がい者が公的サービスを使うためには「規則なので」「税金を使ったサービスですから」「自己負担は一切なく使っていますよね」「大衆に理解を得るためにもきちんとしなければならないのです」と重箱の隅を突っついて突っついて、ほじくるようなことを言われ、大変厳しいルールを押し付けられます。

その一方で国の中枢では湯水のように税金が使われ、それがいとも簡単になかったことにされてしまう、そこに大きな矛盾と憤りを禁じ得ないのです。

重度障がいをもつ私たちの中には、物事の判断はできても手を動かすことができない人も多くいます。そういう人にも公的文書では必ず署名を求められます。

たとえば介護事業所との間で交わす介護サービス利用契約書にも必ず署名欄があります。自分で自分の名前を書くことが出来ないということも含め、「日常生活全般に介護の手が常に必要」だと言っているにも関わらず、契約書類には署名欄があり、署名を求められる…なんとも滑稽な手続きだとつくづく思います。

大きな不正は暴き、生きる事に直結する小さな部分は緩和されていく。そんな人に優しく生きやすい社会になってもらいたいと改めて思う今日この頃です。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を精力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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