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㈱土屋介護ブログ

赤國幼年記⑱ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)ピクニックピクニック。大概の人はこの言葉を聞くと、爽やかな自然の中で戯れ、走り回る子供たちや草地の上にシートを広げ食べる美味しいお弁当、人によってはバーベキュー、酒盛りを思い浮かべるだろう。ともかく楽しいイメージの言葉だ。しかし、そんな爽

赤國幼年記⑰ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)ニャーニャたちニャーニャとはロシア語でもともと「乳母」という意味だが、子供の世話をする、家族以外の女性という意味の方が今は一般的だろう。英語で言えば「シッター」に当たる職業名だ。私が入所していた旧ソ連の障害児施設には常に20人ほどのニャー

赤國幼年記⑯ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)アーニャについて(つづき)アーニャたち家族が当時のソ連に残留したのは、同民族の先達者たちとはやや違った理由からだった。1905年に終結した日露戦争の結果、樺太の南半分が日本に割譲された。そんな樺太にアーニャのお父さんが渡ったのは太平洋戦争

赤國幼年記⑮ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)アーニャについて先にも書いたが、アーニャは朝鮮系ウズベク人で、同じ黄色人種だからということで私の世話係を命じられた看護実習生だった。通常、ロシアでは自分より目上、年上の人を呼ぶとき、名前に父称を付けるのが礼儀だ。ロシア人の氏名は、「名前+

赤國幼年記⑭ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)アジアの血これまで書いてきた事柄と若干時系列が入れ替わるが、私は8歳の春、足の手術を受けた。股間が筋緊張で広げにくくなっていたのを動作しやすいようにする手術だ。具体的には、左右の鼠径部を切開し、そこにある、常に力が入りっぱなしで分厚く、太く

赤國幼年記⑬ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)似非科学に殺された障害児たちそれからの3か月はあっという間に過ぎた。いや、目まぐるしくといった方が正確だろう。今思い出してみても毎日検査が繰り返されたことしか憶えていない。かすかに記憶にあるのは痛みや苦しみが異常に強く感じられたものだけで

赤國幼年記⑫ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)ヒーローか赤土の盛墓か特に人間としての扱いに大いに問題があったと、今でも思われるのは2階の子供たちだった。憐れとしか言い表しようがない。私たち3階の住人たちは2階の子たちと敢えて交流を持とうとはしなかったのだが、その一番大きな理由は、2階の

赤國幼年記⑪ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)階によって決まっていた入所児の「用途」と「運命」以前、施設の建物は、半地下階を含めると4階建てだった、と書いたが、正確に言えば3階と屋根裏との間に中4階が建物の一方の端に設けられていた。つまりは5階建て、ということになる。半地下階には広い入

赤國幼年記⑩ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)“デビル”日に3度出される食事。質的にも量的にも、旧ソ連の障害児施設でのあれが人に供する食事と呼べるものだったろうか。いや、家畜の餌とも呼べないだろうと、今私はそう思っている。家畜の餌ならば、質はともかく量はある程度確保されていただろうに、

赤國幼年記⑨ / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)◎1日のルーティーンあの日から始まった私の施設暮らしの1日は、概ね次のようなスケジュールで進められた。06:00起床・検温・健康観察(体重測定、血液採取など)・排泄処理、浣腸・緊張緩和剤等注射・真空カッピング、赤外線照射やアスファルト加

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