骨折の痛みに思うこと / 安積遊歩

10日くらい前から、左の胸骨の辺りが時々痛かった。しかし、時々だしちょっと痛いくらいだったから、変だなと思いながらも何となく無視していた。もちろん車椅子の乗り降りの時やおんぶされる 時には気をつけていたが、ついに今日の夕方、冷や汗が流れるくらい痛くなった。否が応でも骨折していると自覚せざるを得なかった。その後から動かさないようにし、いや、動けなくなり、介助の人に湿布を作ってもらうまで痛みが途切れることはなかった。今、湿布の冷たさで少し落ち着いてはきた。

私の幼い時の骨折は、大腿骨が主だった。そこが折れると、折れた瞬間から凄まじい激痛が始まる。今回のように10日間も骨折してるかもなあなどという悠長さは微塵もなく、ただひたすらに痛い。その瞬間の激烈な痛みは、息もつきたくない程のものだった。にも関わらず、親は私のその痛みの激しさに打ちのめされ、恐怖を募らせた。そして、医者に連れて行かなければ骨折はもっと酷くなり治らないかもしれないということで、私を抱いて、あるいはおんぶして、病院へ走った。多分地獄よりも地獄の苦しみだったせいか、記憶としてはギブスを巻かれた後からのものしかない。大腿骨の骨折の何が苦しいかというと、骨折それ自体以上に、レントゲンやギブスのために動かされること。この痛みは子どもにとっては拷問か、それ以上のものだ。

ここまで書いて、考えること、思うことがある。つまり、10日も前から骨折したかもしれないと思っていたのに動かしても動かしてもやり過ごせたので、骨折という自覚に至れなかったということ。

つまり、私にとっての骨折の痛みは、微塵も動かしてほしくないのに動かされることで倍加し続けた。それで今回は、どこまで動かしたら本当に骨折だと自覚できるのだろうと、身体が冒険とチャ レンジをし続けたのだろう。幼い時に頻発する骨折の痛みは、それだけだったら息もつけない瞬間数分を越えれば、大人たちに動かされることの方が絶望的に苦しく辛いのだ。それは、繰り返すが、激烈な痛みというレベルではなく、消えてしまうという程の絶望でもある。私はギブスを巻かれた夜には、「死ぬ、死ぬ」という言葉を繰り返し続けたという。

私は同じ身体の特徴を持つ娘を産んで、当事者が自分の身体を看ることの大切さを証明した。 娘は私と同じくらいの年齢で、そして同じような回数、骨折を繰り返した。しかし、決定的に違ったのは、彼女は自分の身体にリーダーシップを取ることを大人たちから許されていたことだ。特に私は、許していたという次元ではなかった。彼女にそうあることを望み、応援し続けた。先にも書いたが、骨折以上に苦しかった動かされるという絶望を、彼女は全く体験していない。それどころか、どんな痛みの中でも、周りの大人たちに彼女のリーダーシップは尊重されたのである。彼女は骨折の数十分後には、骨折以前にしていた遊びを継続した。周りの大人たちに、お人形やお絵かきやぬいぐるみや絵本などなど、全てを自分の周りに持ってくるよう伝えた。そして当然のように、その遊びに大人たちを巻き込んだのだった。

どんな状況の中でも自分のやりたいことにリーダーシップを取るという彼女の姿は、私の中の幼い私の驚きと羨望の的でもあった。

同じ骨折とはいっても、骨折した部位によって動かすこと、動かされることでの痛みは、私の感覚だと天文学的に違う。その上、自分のリーダーシップを完全に奪われた上で動かされると、あまりの恐怖で冒険心やチャレンジ精神も全く失ってしまう。骨折の中にあっても自分の身体に対してリーダーシップを取り続けた娘。彼女は、私にとっては恐怖でしかないことに、小さい時からいくつもいくつもチャレンジし続けた。幼い時はみんなと同じように「高い高い」もダンスもした。10代にな ると、トランポリンで骨折もしたにも関わらず、屈託なく自分より小さな子どもたちを誘って、おすわりをしながらそれを楽しんでいた。私は娘がそれを楽しんでいると理解しつつも、心の中に不安と恐怖が湧いてくるのを抑え難かった。そんな私だから、彼女はバナナボートに乗ったことは事後報告で伝えてきた。今でもバナナボートに乗っている彼女を想像するだけでドキドキしてしまうくらいだ。それほどにも私は幼い時に自分の身体を自分で看るという力を踏み躙られたのだと思わざるを得ない。

私はここ3年で、実は3、4回は胸骨・肋骨を骨折している。その度に自覚が遅れて、痛みが重症化するということを繰り返している。今回の骨折は特に酷い。今の今、私の左手は骨折の痛みからくる痺れのようなものさえ感じている。多分私は、母が逝った年齢を超えて生きられたという喜びでかなり油断してしまったのだろう。

私と娘の骨は折れやすいのだ。何度も何度も折れてきたのだ。折れても折れても立ち直り、自分自身であることをやめない身体。娘は生まれてすぐからそれを尊重されてきたけれど、私には過酷な幼い日々があったのだ。そのことを大切にきちんと思い出しながら生きていこうと教えてくれているこの身体。そのことを、この痛みで確認し、自覚し、学んでいきたいと思っている。

 

◆プロフィール

安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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