
『小さな声』を探し求める/堀尾 彦人(ホームケア土屋奈良)
この著書を読んでびっくりしたことが、ほとんどの経営陣の方が異業種から介護事業に移られていたことです。
「施設支援が当たり前、訪問介護が当たり前、家族介護が当たり前」と自分もずっと思っていましたし、重度訪問介護は今でも浸透していないのに、高浜代表をはじめ経営陣がこの介護事業を始められたことが、時代を変えていくのだと思いました。
介護って家族がすることが当たり前だと思っていた中で、障害者支援って自分自身、未知の世界でした。
経営陣に共通すると思われたのは、「当たり前でない」ってことを感じる信念です。
それがすごく伝わってきました。また、印象的な言葉が、「会社が成長することで、支援を必要としているより多くの人々に手を差し伸べられるようになる」というものです。
これってなかなか嘘でも言えないと思い、代表とお会いしたことはないですが、会社が大きくなっても忘れずに実施して欲しいと心から願って、会社の一員として経営陣の方々が思いをもって始められた土屋の力に、少しでも役に立てるよう頑張っていこうと思いました。
印象的なのは、重度訪問介護は特に「穴を開けることができない」こと、チームでカバーして、責任感をもって支援することが求められるということです。
もちろん、施設介護が責任感がなくてもできるというわけではなく、休むことが簡単でないのが重度訪問介護なんだろうと、どの経営陣の話を読んでもとても感じ取られました。
また、クライアントに寄り添うということも、現場によって、症状等によって、またその日によっても違うだろうし、毎日初心の心をもって支援に取り組むことが大事だと感じました。
自分自身、高校生の時に「手をつなぐ会」とのご縁があって何度か参加させてもらい、ダウン症の子ども達から感謝の手紙をもらったのを思い出しました。
私が介護業界に携わることになったきっかけは、高知から祖母を迎え入れることになり、その時の訪問看護師さんの仕事ぶりに感動したからです。
38歳の時でしたが、介護会社に入職し、3年目の41歳の時に介護福祉士の資格を取りました。
その時の上長が「資格を取ったんだし、病院でもいいけど施設とかに行って頑張ってみたら」と背中を押して下さったのが大きな転換点となりました。
その後、施設を転々としていましたが、「流れ作業のような介護って違うよな」と思っていた時、Facebookで土屋の求人を見て、「一対一の介護ってどんなんだろう」と、気づけば応募していました。
当時の女性ブロックマネージャーとのオンライン面接の出会い、奈良のマネージャーとは事業所での面接がありました。
4月から入社の予定が前職を辞められず、「1か月遅れの5月になりそうです」と伝えたので採用を取り消されるかもしれないと思っていましたが、マネージャーからは「ちゃんと話し合って退職の日が決まったら連絡くださいね」と、意外にも待ってくださるとのことで、迷いなく転職を決意しました。
はじめは、「やっぱり無理なのか」の連続で、挫折寸前にもなりましたが、クライアントと向き合っていくと乗り越えていけることを、コーディネーターや他の先輩方から教わりました。
そして、乗り越えていける自身になってきて3年が過ぎ、4年目に入った時、信頼していたコーディネーターの退職がありました。
その少し前から、そのコーディネーターが担当している現場に支援に入ることになりました。
「なかなか厳しい現場やから」と言われて不安だったのですが、なんとか1人立ちでき、そのコーディネーターが退職された後は2名体制で支援していました。
いろいろあって今では1人体制になり、「頑張ろう」という思いで支援に入っています。
この著書を読んで、あらためて頑張っていこうと感じました。経営陣の方が、厳しい現場を経験して大きくなったのだから、自分自身も、いずれ誰かの見本となる介護をしていきたいです。
最後に、経営陣の方々は趣味もしっかりとあって、オンとオフを分けられているようにも感じます。
自分は地元の武将である筒井順慶顕彰会の会長職に今年からなり、いろいろな方々との、ちょっとした話のネタをストレス発散にして頑張っています。
あとは、詩舞でも発散しながら、経営陣の方々が思いをもって立ち上げた土屋の一員として、どんなに厳しい現場のクライアントにも寄り添っていけるよう、頑張っていきたいと思います。





















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