小さな自分を抱きしめて~アイヌモシリ(北海道)に生きるということ~ / 安積遊歩

近代社会においては、蔓延する優生思想があらゆる命を人間の視点で分け続けてきた。しかし16万年の人類の歴史のなかでは、とにかく生き延びることが、長い長いあいだの人類にとって一番の命題であったろう。先住民の文化・歴史を見ると、優生思想よりも助け合い・ケアの思想が、人間の作る社会の中心にあったのではないだろうかと、私には思える。特に北海道のアイヌの人たちの歴史・文化の話のなかに、それを感じてきた。

まず、アイヌの人たちは人間の誕生と死をどのように見ていたのか。アイヌの人にとっては、誕生も死もあらゆる自然の中にいる神の世界とのお引越し関係と考えているらしい。新生児がこの過酷な自然の中で生き延びられるかどうかを見守る時期には、その子には正式な名前はつけない。うんちとか鼻クソとか、汚い言葉で呼び、その子が過酷な自然の中で生きていける力があるかどうかを待って、正式な名前をつけたそうだ。

囲炉裏のそばに空中から下がるブランコのような揺籠を、一度見たことがある。それは新生児専用らしく、とても小さなものだった。囲炉裏の側に大人がいれば、どの子も大人に抱かれて大きくなったに違いない。多分、子どもへの虐待ということは、概念ですらもあり得なかったろう。そしてもし生き延びられたなら、どんな障害をもっていても、小さなコタンが社会だったので、そこの中で差別的に扱われることはなかったろうなと思う。

もちろん見てきたわけではないが、争い、殺し合うという残虐さはアイヌの歴史にはなく、全てを話し合いで解決したそうだ。それをチャランケという。そのように、アイヌの人たちは実に賢く一万年もの時を自然の中で生き抜いてきた。

初めて戦争、殺し合いを体験したのは、和人との間でだったという。1457年、和人との最初の戦い、コシャマインの戦いの慰霊祭に先日参加した。そこで、和人の非人間的、神も自然も恐れぬ強欲な有り様に身がすくむ思いがした。

つまり、その戦いは、地の利をよく知っていたアイヌ側の勝利で終わるはずだった。ところがそこで和人が和解を申し出、その結果は残虐で悲惨の極みであった。和解と見せかけて、和人側は毒入りの酒をふるまい、リーダーたちを皆殺しにしたという。

それ以降、明治2年に政府が、この地に人間は住んでいないという文言を持って、驚くべき侵略を開始した。世界各地の先住民の歴史と同じように、壮絶な植民地化が始まったのである(日本政府は植民地主義を開拓という言葉にすり替えて、いまだ植民地化を認めてはいないが)。

植民地化、つまり、和人が国策として入植してくる中で、アイヌの人々は激しい差別と抑圧にさらされるようになった。そして良と不良に人間の命を分けて、良なるものが不良なるものを支配する優生思想が持ち込まれ、アイヌの人の暮らしや文化、さらには命がめちゃくちゃにされていった。

彼らの暮らしの根幹にあった鮭や鹿猟を禁じることで、多くのアイヌの人が餓死に追い込まれた。そして、植民地主義の究極である、言葉の収奪と同化政策が押し付けられた。さらにはアイヌの人々の骨格を調査、研究し、彼らが和人より劣った民族であることを明らかにしようとした。そのために、お墓から1200体以上のアイヌの人々の骨が和人の研究者らによって盗骨された。

私は、私自身の体に、幼い時から様々な生体実験を繰り返しされてきた。だから、初めて盗骨の話を聞いた時は、思わず、生体実験の方がもっともっと辛い、と思いもした。しかし、生体実験だけでなく、もし盗骨までされて、尊厳の全てを奪われることを想像したら、悔しさと悲しみが溢れてきた。

今でも、アイヌの人々の骨を盗んだ北海道大学や日本政府は、アイヌの人々にきちんと謝罪していない。謝罪どころか、盗骨したものをそれぞれの村に返すのに裁判をしろと言っている。現在、1000体以上の盗骨のうち、元の場所に戻れたのは、30数体らしい。

アイヌの人たちはもともと自然のすべてに神がいると信じていたから、自然をむさぼりつくすことはなかった。自然はいつでも豊かにアイヌの人たちを守り、命を与えてくれるものだった。イヨマンテといって、小熊を神様としてコタンに迎えることがあった。数年その熊と共生したあと、その命は神のもとに引っ越しするのだった。それはイベントとか儀式という次元を超えて、まさに人間と神と自然の様々な命が一体となって、歴史を紡いでいくというふうに、私には見える。

私は、この優生思想が牙をむく現代のなかで北海道に住んでいることに、障害を持つ和人ながら、ずっと居心地の悪さを感じてきた。アイヌの友人が何人かできたが、その暮らしぶりに触れれば触れるほど、その激しい差別のなかで生き延びてきた歴史に心が痛んだ。そしてアイヌの人たちの暮らしの中に、障害を持つ人たちは存在したのかどうか。そのことを知りたいと、いつも思ってきた。

そして、ようやくその暮らしぶりから、冒頭に書いたようなことを想像することができるようになった。今後はアイヌの友人からアイヌ語を学び、居心地の悪さや罪悪感から少しでも自由になりたい。そしてさらに、アイヌモシリ(アイヌ語で「人間の大地」)、アイヌの人たちと、さらにいい関係を作っていきたいと思っている。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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