動物福祉 / 安積遊歩

私は差別の一番最初にあるのは無知無関心であると考えている。差別を止めるには命の置かれている様々な状況を知りたいと思っている。それには発信されている情報を注意深く見ていくことが必要だ。長い間障害を持つ当事者の活動をしてきたので仲間たちの発信には敏感であると思ってきた。しかし世界にはどんなに声をあげ続けても聞かれない命があるということに深く気づいたのは8年ほど前。

残酷な状況に置かれている聞かれない声として工場畜産に晒されている家畜たちがいる。その家畜たちの状況を中心に、養殖業やペットにされている魚類等々、人間に利用される命たち。その命の声を知らせようとしている組織がアニマルライツセンターだ。この組織の会報を取り寄せ始めてから7年くらいになる。

私は日常的にはなるべくビーガンを心掛けている。だから自分の中では充分な情報を知り、動物の命を守るために個人的に出来ることはしているつもりだ。しかし毎回送られてくる会報の情報はあまりにヘビーで、他の命にこんなにも残酷なことをし続けているのかと心が痛い。

アニマルライツセンターは、様々な動物の命についての取り組みをしている。なかでも、最も大きなものは、先にも言った工場畜産における家畜のこと、動物福祉への取り組みだ。日本人は150年くらい前まで肉をほとんど食べていなかった。しかし、高度経済成長の波の中の1970年代くらいから大量に肉を食べ出した。たとえば、鶏は1960年代の0.80kgから、2020年には13.9kgに増大。豚肉も11.7倍。

私の記憶でも、昭和30年代には肉を食べるというのは、特別の日のお祝いごとで、贅沢なことだった。それが二十歳くらいで、障害者運動を始める頃には、1日3食の食事の中で、一食には動物性たんぱく質が必要とすっかり刷り込まれた。母が貧しい家の出身だから、そんなに贅沢をしなくていいという言葉は、説得力がなく、父の「もっと肉や魚を料理しろ」という言葉のほうが圧倒的に力を持っていた。

そうした私の記憶と家畜が工場畜産に追い詰められていった時期とは、ほとんど並行していただろう。工場畜産によって、家畜は生き物としての自由と尊厳をガンガン奪われることになった。

工場畜産は、四季折々があり、狭い国道の日本には、全く合っていない。にも関わらず、スピードを求めて、日本中に新幹線を走らせたり、各地に国内線の飛来する空港をつくったりするのと同じように、家畜の成長に速さを求めてきた。

工場畜産では、採卵鶏からは多くの卵を取るために、大量の薬剤を投与する。その採卵鶏は、たくさんの卵を産ませられ、産めなくなったら肉にするか、ペットフードにするか、生きたまま焼却場に投げ込まれて殺されたりもする。また肉用のブロイラーは、人間で言えば2歳の子に成長ホルモン等を投与し、60キロに太らせる。そのために立ち上がれずに、異様な蜜飼いの中で、餌場に行き着けずに踏み潰されてしまう子も多数いるという。

豚の悲惨も凄まじい。特に母豚の一生は、想像すると胸が潰れそうになる。母豚の寿命はせいぜい2年半。その間に、3、4回出産させられる。まず妊娠ストールというもので、後ろも振り向くことも不可能な狭さの中で妊娠させられる。そして、分娩後は、分娩ストールという身体を横倒しにさせられ、子豚が乳を飲みやすいように、授乳期間中はそれで抑えつけられるのだ。

妊娠前には、尻尾は切られ、一生日の光を浴びることもない。屠殺場に送られるその一瞬だけが外の空気を吸える瞬間だ。それでも少しでももたもたしていると、殴られ蹴られる。檻の中から出た喜びも感じることなく、絶望と恐怖の中で殺され続ける。

牛も牛乳を作る機械として扱われている。人間は、妊娠中は母乳は止まるのに、牛はそれでは生産効率が悪いとばかりに、女性ホルモンを大量に入れられる。そして絞られ続け、出なくなれば、肉やその加工品とされていく。乳が出ないオスの牛は生まれた瞬間に殺されることがほとんどだ。「種付け牛」として価値があると認められた雄牛だけが生き残れる。

そして、当然のことながら女性ホルモンや薬剤のたっぷり入った牛乳を飲んでいる人間たちは、さまざまな病気や疾患を得ることになる。生活習慣病やアレルギーのほとんどは、大量生産、大量消費、大量廃棄を推し進めている、この経済システムからきていると私には見える。命より大切なものがあるとばかりに、つくりまくり売りまくり、そして捨てるを繰り返すこの社会。動物の命の尊厳は一体どこに行ってしまったのだろう。

最近、そのような中、アニマルライツセンターはアニマルウエルフェアを提唱している。アニマルウエルフェアは、「肉を絶対食べるな。」という取り組みではない。日本語では、その訳は動物福祉、つまり食べる寸前まで、尊厳のある命として向き合おうというものだ。

正直、私としては、福祉というより、動物平和という取り組みであってほしいとも思う。なぜなら動物福祉では、やはり家畜は食べられるために存在し、その役割は福祉的対応があっても、食べられるという結果になってしまうのだから。いくら命としてケアしたとしても、結果が食べるのであるのなら、限りなく傲慢で残酷な気がしてしまう。

ただ、最近会報を丁寧に読んで、ケアの思想が全くないことが、命の尊厳を踏み躙るのだということを知った。アニマルウエルフェアの取り組みがない中、工場畜産だけが跋扈すれば、平均寿命がコントロールされる。つまり現在の鳥や豚や牛の平均寿命は、工場畜産以前の二分の一から三分の一にも短くなってしまったのだ。

なぜ短くなったのか。それは消費者の要求であるということで、少しでも早く成長すること=肉という商品にすることを求められてのことだ。もちろん生産者も「消費者の要求に応じなければ」と考えて、大量生産を行なっているのだ。消費者がどれだけ無知無関心から出て、動物を大切な命とみなして、動物福祉に取り組んでいけるかが今後の大きな課題だ。

 

◆プロフィール

安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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