【異端の福祉 書評】重度訪問介護の空白地をゼロにする為に / 玉田美紀(ホームケア土屋 福山)

重度訪問介護の空白地をゼロにする為に / 玉田美紀(ホームケア土屋 福山)

2023年1月、重度障害者の在宅生活を24時間支える重度訪問介護事業所「ホームケア土屋」を全国47都道府県に広げた高浜敏之代表。ボクサーを目指していた彼が最初に福祉の世界の門を叩いたのは今から20年前の事だった。

きっかけは大学時代の友人(現在の妻)に薦められた一冊の本だった。その本の冒頭には、震災で息子を亡くした母親の心の傷を癒したのはボランティア女性のただ聴くしか出来ない行為だったというエピソードが描かれていた。

「この話を読んだ瞬間、私のなかで大きく感情が動きました。何か自分の目の前を覆っていた雲が晴れて光が差すような心持ちがしたのです。」
2002年5月、様々な不運にみまわれ、失敗と挫折を経験し、30歳になっていた彼の新たな一歩だった。

日本では障害者は社会と切り離され隔離されてきた。昔は座敷牢、現在は施設。施設での暮らしは自分らしい生き方や人間としての尊厳とは程遠いものだ。人手不足による長時間放置。トイレ介助も間に合わず、暴言や虐待行為が起きても逃げられず、社会で生きる術や仕事もない。

そんな中、1970年代半ばから重度障害があっても地域で暮らす人が少しずつ出てくる。障害者が自らの人権を守る為の過酷な闘いの始まりだ。

そもそも重度障害者にとっての「自立」とは何だろうか?
1981年、国際障害者年にエド・ロバーツ氏が来日し、自立生活運動についての講演が行われた。
「衣服の着脱に1時間を要する者がいるとすれば、その人に対して介護人を派遣して10分で着脱を終わらせ、残り50分をより人間的に有意義な時間をつくり出していくようにする」と説明している。

一番大変なのは介護者の確保。彼らは人の善意に頼るだけではリスクが高いと分かり、介護人材の派遣が必要だという流れになった。ただ、資格より人間性や実用的なスキルが大事だということが国に問題視されてしまう。

法改正や施行により前進と改悪を繰り返す中、高浜氏は疲弊し、アルコール依存になり生活保護を受給する。後にこの時の経験が自身の思考や行動の歪みを見直す時間になったと語っている。その後、グループホーム勤務で社会復帰を果たす。

それから1年後、同施設の関係者からベンチャー企業立ち上げの誘いを受ける。断るつもりが妻が交通事故で一人で生活できなくなり、彼女を家族として支えたいという想いから提案を受ける。ありがちな話だが、現場と経営者の意見対立で職場の不満は爆発寸前。高浜氏は独立を決意する。

2020年8月、重度訪問介護事業で会社設立。「異端の福祉」のはじまりだ。一瞬でもクライアントを介護難民にしない。クライアントを大切にしていけば一定の介護報酬が見込める。リスクは低い。問題は制度そのものの認知度が低く自治体の財政負担や熱意の差、人材不足だ。

「福祉は清貧であれ」という業界の常識を覆す。善意に依存する介護には限界がある。持続可能な事業にすることで支援できる人が増える。福祉でも1000万円プレーヤーになれる。

ここで疑問。なぜ従業員に高い給与を払えるのか?それはニーズの高さと加算請求の仕組みにある。

また、社内のDX(デジタル・トランスフォーメーション)。コスト面で無駄の多いアナログなシステムをやめる。本社は小さなビルの1室。仕事はオンラインで完結。ペーパーレス。メールやチャットなどで情報交換。

質の高い支援を提供する為のデジタル化や専門家を招いた様々な委員会。プラス介護以外のやりたいことも社内起業でチャレンジ可能であることや、自社で介護人材を育成し現場へ送り出すヘルパー育成研修事業もある。なるほど。確かに「異端」である。

ただ課題はまだまだ残されている。主要都市以外では離島や僻地など空白地はまだまだある。そして人材不足。どうしても一定数の離職者がいる。仲間を増やさなければ介護難民は救えない。空白地もゼロにはできない。今後の課題の解決に向けてどう進化しなければいけないのか?この福祉事業から目が離せない。

最後に。介護についてはまだまだ無知無理解が多い。同性介護の問題ですら炎上する世の中。障害者への偏見。重度訪問介護はただ働いているだけでそんな社会を変える支えになれる仕事。一緒に社会を変えられる、変えたい人がいてほしい。

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