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㈱土屋介護ブログ

私の家族④ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)私には姉が三人いる。三人目の姉陽子は生まれて10日で亡くなっている。私の生まれる丁度一年前のことである。長女敞子は5歳上、次女公子は3歳上である。陽子のことは、姉二人の間で話題になっていた。陽子は生きていたらすごい美人で、すごく頭が良くて、性格もい

友だち/お店に歴史あり② / 浅野史郎

1963年(昭和38年)4月、仙台第二高等学校に入学。私は1年H組大澤先生のクラスである。クラブ活動は水泳部に入る。クラス内というより水泳部で一緒の生徒と親しくなった。中でも目黒泰一郎君と親しかった。目黒君は牡鹿町(現石巻市)の牡鹿中学校出身。「自分は地元では秀才だったが、仙

家に歴史あり⑥ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)東京に帰ってきて住んだのは、中野区上高田一丁目の公務員宿舎。中央線東中野駅まで徒歩8分、地下鉄東西線落合駅まで徒歩5分。近くにはお寺が沢山ある。明治・大正期に都心からこの辺にお寺が引っ越ししてきた歴史がある。万里子が通う昭和小学校は歩いて

家に歴史あり⑤ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)1978年(昭和53年)4月、在米日本大使館勤めのため、ワシントンDCにやってきた。最初の住処は、ワシントンに隣接するメリーランド州ベセスダにあるアパートである。アパートといっても、日本でいうマンションの高級版で住み心地は極めて良い。大使館

家に歴史あり④ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)1974年(昭和49年)7月、26歳の私は帰国して、霞ヶ関での仕事に復帰する。ポストは環境庁自然保護局企画調整課企画調整係長。住まいは東京都中野区内のどこか(覚えていない)に定めた。時間に追われて、あまり吟味していないで決めた。これがいけな

家に歴史あり③ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)目黒の下宿は、東大の駒場キャンパスに近くて便利だった。それでも、3年生からは本郷キャンパスに通うので、引っ越すことにした。行く先は豊島区西池袋4−22−3の西牟田アパート。大学同級生の望月邦計君と一緒に住んだ。望月君は2階の6畳間、私は4

家に歴史あり② / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)家に歴史あり② / 浅野史郎仙台第二高校を卒業した昭和41年(1966年)、私はあこがれの東京に出てきた。日本の首都であり、何でもある街、何でもありの街トーキョー。東京大学もあるので、進学のためやってきた。東京で初めて住んだのは、五城寮と

家に歴史あり① / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)これまでの人生の中で私が住んだ家について書いてみたい。家には思い出がたくさん詰まっている。私が生まれたのは、岩手県大船渡市。昭和23年(1948年)2月8日のことである。生まれた時の家はまったく記憶にない。生まれて3ヶ月で宮城県登米郡北方村

読書について⑥ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)「読書について」なんていうコラムを書いているが、今の私にはこんなコラムを書く資格はないと思っている。このところ3ヶ月ほど、読書がほとんどできていない。多忙で時間がないということではない。体調不良でもない。ああ、それなのに、今の私は読書をさぼっ

読書について⑤ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)読む本をどうやってみつけるか。小説については、読んでみて「いいな」と思った作者の作品を読んでいく。「つまらないな」という作品に当たったら、それで終わり。つまり、その作者の作品はもう読まない。一丁上がり。こういう読み方をする人は多い。情報源と

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