地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記99~実際にPCR検査を受ける立場となって思ったことPart2~ / 渡邉由美子

前回に引き続いて、新型コロナウイルスのPCR検査を受けた時のことを詳細に書き記していこうと思います。前回の記事をまだ読んでいない方は先にそちらをご覧ください。

前回の話をまとめると感染者数の把握をしなくなった現状においても、医師の説明では私のように重度の障がいを持つ人は「ECMOを付けるレベルの重症患者がたどるのと同じルートに乗せます」ということでした。

そして「もしそれを望まない、拒むというのであれば、管轄の保健所とやり取りをして、より良い療養のかたちを模索してください。隔離療養期間は○○日までです」と告げられ、病院の外に設置された簡易テントの中で検査を受けることになりました。

介護者はテントの中には入れないと言われてしまい、私は看護師に案内され、言われるがまま容器に唾液を吐き出し、検査を受けました。そこで働く看護師は本当に忙しいようで、唾液を吐き出すほんの数十秒の時間も私と共に過ごすことはできない。吐き出し終わったら呼ぶようにとブザーを手渡し、テントを後にしました。

この検査はマスクを外して行うため、感染のリスクを考慮し、介護者も入れられないというのが建前のようです。自力で容器に唾液を吐き出すことができない人やブザーを押せない人はどうするのかと、とても疑問に思いました。

そのような人の場合はどうするのかといった質問をする時間は一時もなく、陽性であることを前提に矢継ぎ早に話を進めていく医療関係者を前に、患者の意見など全く聞き入れないという空気が辺り一面を覆いつくしていました。

私は昔から「病院に行くと、そこから出られなくなる」という強迫観念を抱いてしまいます。医療スタッフはみんなやさしく接してくれるし、誰もが少しでも私が快適に過ごせるように動こうとしてくれるのはわかっているのですが、病院に行かなければならなくなると、なんともいえぬ絶望感を感じてしまいます。

これまでのブログでも再三書いてきましたが、だからこそ入院することになった際、普段慣れ親しんだ自宅で日常生活の支援をしてくれる介護者を病室にも伴えるよう、様々な部局と辛抱強く交渉を重ねているのです。

この冬はインフルエンザと新型コロナウイルスのW流行が大いに予想されると言われています。今回もなにか特別無理をして風邪を引くことになった訳でもなく、これからも医療となるべく縁のない生活を送るために、どのように過ごしたらいいかと本当に悩んでしまいます。

PCR検査を受けるというただそれだけのことで、こんなに日常が揺るがされるような思いをしなくてはならないとなると、地域生活が安定しているとはとても言えません。

介護をしてくれるスタッフにも仕事を離れればそれぞれの生活があることを考えると、もしコロナ陽性となった時に、「日常生活の支援を行うのがあなたの仕事なのだから、いつもどおりに来て、介護をしてください」とは言い切れない部分もあり、検査結果の連絡が来るまでの丸2日間、結論の出ない自問自答を繰り返しながら悶々としていました。

こればっかりは自分のことだけを考えて「来るべきだ」とは言えないなと痛感させられました。またPCR検査の結果が出るまでは、なるべく会話と接触の機会を少なくしなければと、同じ部屋の中にいるにも関わらず、介護者に依頼したい内容をLINEで指示することにしました。

介護者はそれを聞き漏らしてはならないと、ふだんミュートにしている自分のスマホを通知音が鳴るよう設定して私の介護にあたっていました。介護者のスマホの通知音が鳴る度に、私は日々こんなにたくさんの事を介護者に指示して暮らしているのかと呆然としたものです。

陽性かどうかわからない間は「声を発する=感染リスクを上げる」ことと捉え、ふだん何気なく交わしている会話もできなかったので、孤独と寂しさをひしひしと感じました。生きることは、つねに誰かと会話をしていることなのだと改めて思い知りました。

毎日の感染者数が報道されなくなり、また旅行を推進するキャンペーンも繰り広げられるようになりましたが、新型コロナウイルス感染症は本当に収まってほしい。この冬を陽性になることなく元気に乗り切りたいと切に願います。

医療と福祉は似ているようで全く違う領域です。双方の立ち位置をわきまえながら、医療の側に、福祉を受けながら暮らす患者側の希望や意見をもう少し聞き入れてもらえるよう、双方が折り合えるより良い着地点を見つけていけるよう、今後も活動を続けていきたいと思っています。

年末に向けては、東京都の障がい者支援部門の課長に介護を身近に感じてもらうための取り組みや厚労省や東京都との交渉を精力的に行っていく予定です。

今回はPCR検査の結果、陽性ではなかったというオチで、すぐに日常に戻ることができました。とはいえ今後陽性になった時のことも十分に考え、介護者に防護服の正しい着脱方法についての研修を受けてもらうなど、日頃からできることをしつつ、いつ何時でも在宅生活を継続していきたいと思わずにはいられない体験となりました。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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