『Happypedia 〜極私的幸せ辞典〜』① / わたしの

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

うた【歌】

歌ってもいいし、ただ聞くだけでもいい。

歌を歌うということは「声を出す」ということである。
これは人間にとって非常に大事なことである。

人はなかなか日常生活の中で歌うという機会がない。
歌を歌うとその分、声を出し、大きく呼吸することになる。
声を出すことによって心に溜まった澱を吐き出すことができる。

歌は、言語化できない喜怒哀楽の感情そのものに作用する。

悲しいときは悲しい歌を、嬉しいときは嬉しい歌を歌いたい(聞きたい)。
その時々で、今一番歌いたいと思う歌を選び取る訓練はしておいたほうが良い。
その時にしか歌えない歌がある。
もっとも心がふるえる歌を歌った方がいい。
あとでもう一度試してみてもその時の感動が蘇ってくる保証はどこにもない。

誰かに聞かせる必要はない。
部屋で一人きり歌うとよい。
歌えなければ聞くだけでもよい。
もちろん誰かと共有したり、みんなで合唱するとまた違う喜びを実感できる。
現在はカラオケボックスで歌うことはリスクも高いだろうが、
部屋でも海でも山でも「声を出す」機会は作っておきたい。

歌は心。
うまい―へた、は関係ない。
音程通りに歌えるかどうかをAIによって審査し優劣をつけようとする最近の歌番組の傾向はいかがなものかと思う。
音程を外すから人の心を揺さぶるということもあるのである。

歌うことによって(歌を聞くことによって)人生は間違いなく彩られる。

うつくしいもの【美しいもの】

美しいものは心をざわめかせてくれる。

美しいものに関して大切なのは「距離感」である。
ほどよい距離感を保っていることがよいようだ。
所有しようとした途端、美しさは変化していく。
遠すぎず、近すぎず、楽しむことが大事だ。
物足りず、焦がれるくらいがちょうどよいのかもしれない。
しかしながら人は往々にして美しいものと一体になろうと激しく希求するものである。

自律的に距離感を保てるほど人間は強くないということも知っておかねばならないのかもしれない。

破綻すると分かっていても美しいものを手に入れようとすることもまた人生の経験としてはありだろう。

美しいものは儚い。
「美しい!」と感じたその刹那を逃してはならない。
心をふるわせてくれる美しいものと出会えることは幸せだ。

おかね【お金】

お金は多くはいらない。
しかし、ほどほどに持っていた方がいい。
お金が原因で気持ちが落ち着かなかったり、誰かと言い合いになったりしないように。
それが原因で険悪さが生まれてしまうのはもったいない。

一方でお金がなくても「幸せ」ということはもちろんある。なきゃないでなんとかなるものである。

「消費」は時にストレス発散になるだろう。
だから発散するならば、家計に響かない程度に「消費」しても構わない。
しかし、いつかたかが知れているということを分かる日もくるだろう。

食うに困らない程度、コンビニに入って値段を見ないでスナック菓子をかごに入れられるぐらいのお金は持っていたい。

あとは、月に一回くらいは奮発してハーゲンダッツを食べられる人になりたい。

おんせん【温泉】

広いお風呂に入ることは喜びだ。
手足を伸ばして、大きく息を吐けば気分ものびのびする。
日々の緊張や溜まった澱を流す効果が湯にはある。
ゆっくり浸かり、全身をほぐすとよい。

おすすめは、洗い場の鏡にうつる自分の顔を眺めてのんびりすることである。

「おまえは偉いよ」

「よくやってるよ」

と、声をかけてあげるのもいいかもしれない。

広いお風呂だけでもよいが、それが温泉であればなおよい。
温泉は匂いがよい。
とろとろっとしたお湯の肌触りも最高だ。

体を洗うのにも髪の毛を洗うのにも、私はまとめて安い石鹸ひとつを使っている。
あのチープだが、甘い匂いが「幸せ」を感じさせてくれる。

混迷していた20代前半の貧乏暮らしのとき、
昼間の誰もいない銭湯でお湯に浸かりながら、

「自分は一体何やってるんだろう?」

と、虚しさを味わっていた。
あの虚しさも二度とはかえってこない。
そういう辛い経験も、時が経てば甘美なものに変わるのである。

温泉も銭湯も夜に入るより昼間の方がいい。
贅沢な感じがする。

朝のお風呂も格別だ。
できれば眠気が残ったまま風呂に入りたい。
冷えた体があたたまるとともに、眠気も流れていく。

朝湯、最高だ。

(泉質が素晴らしい温泉を知っている。山梨県の韮崎市の温泉。本物の温泉、と私は呼んでいる。是非おすすめしたい)

ぎゃんぶる【ギャンブル】

家計が滅茶苦茶になり、身を滅ぼすほどの突っ込み方をしなければという条件を守れば、生活の中にギャンブルがあることは悪くない。
それは彩りを与えてくれるだろう。

例えば500円、ワンコインで構わない。
何かに賭け、その信じたものが当たるのかはずれるのか、手に汗握る瞬間があるということは「幸せ」だ。

もちろんお金を賭けなくてもいい。
次に窓の外を通り過ぎる人が暖色系の服を着ているか、寒色系の服を着ているかを当てるだけでもよい。

心から「願う」ことが大切だ。

当たれ、当たれ、当たれ!
こい、こい、こい!

心がふるえる瞬間をたくさん経験したい。

おさけ【お酒】

これがまた手に負えない。手に余る。
「幸せ」をもたらすことも多いのだが、逆に散々やられている。

酔う、酩酊するということに助けられている部分もある。
やわらげてくれたり、ぎっちぎちの「自己」から解放させてくれたり。
鋭敏な神経がまろやかになって楽になったり、
普段では出てこない角度の発想がひらめいたりもする。

いいやつだなと思ったのもつかの間、
飲みすぎて二日酔いのときの悔恨と自己否定。
負の感情を引き出すような作用がアルコールにはある。

「ゼロからプラス」で飲むような飲み方ならよい。
問題は「マイナスからゼロ」にするために飲む飲み方である。
これすなわちアディクトと呼ぶ。

アルコールだけではないが「マイナスからゼロ」にするために何かが必要なときは注意した方がいい。

ただやっぱりこれだけは言える。
お酒は人生を謳歌するためには欠かせない。

次巻につづく

 

◆プロフィール
わたしの╱watashino
1979年、山梨県生まれ

▼ 音楽
https://note.com/wata_shino/n/nf4989b561ab7

▼ 文
https://note.com/wata_shino/n/nd7b0f566bb9f

 

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