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㈱土屋介護ブログ

私の家族⑤ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)現在の私の家族は妻と二人だけ。横浜の一軒家に住んでいる。もう14年になる。義父赤井源蔵、義母せい子は同居していたこともあったので家族のようなものである。二人とも既に他界しているが、義父源蔵は謹厳実直な人。義母せい子は社交的で活発な人であった

私の家族④ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)私には姉が三人いる。三人目の姉陽子は生まれて10日で亡くなっている。私の生まれる丁度一年前のことである。長女敞子は5歳上、次女公子は3歳上である。陽子のことは、姉二人の間で話題になっていた。陽子は生きていたらすごい美人で、すごく頭が良くて、性格もい

私の家族③ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)母かつゑは、大正9年(1920年)7月30日仙台市北三番丁百番地で生を受けた。7人兄妹の長女である。長女らしくしっかり者、田中書店の「看板娘」として父に見染められるほどの、そこそこ見栄えのする娘だった。私にとっては誇らしい母だった。

私の家族② / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)父輝雄は、大正4年(1915年)11月7日寅之助—みさよの4男として宮城県登米郡北方村日向字杉林85番地で出生。兄妹で大学に行ったものがない中で、ただ一人東北大学医学部に進んだ。「百姓に学問はいらない」という浅野家の「家訓」に従わず、大学進

私の家族① / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)先日、仙台に住む長姉敞子から、わが浅野家の家系図が送られてきた。敞子姉の近所に住む佐々木恵美子さんが作成したものである。恵美子さんは私の父方の祖父寅之助の弟の孫だから、遠い親戚になる。彼女はこういうことが好きな人らしいが、それにしても大変な

友だち/お店に歴史あり⑥ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)東京は新橋烏森通りのビルの地下にあるスナック2BEAT。ここには40年以上通った。私にとって、お店通いの最長不倒距離である。初めて行ったのは、昭和49年も末の頃だった。当時の私は、環境庁自然保護局企画調整課企画調整係長をしていた。係員の大野

友だち/お店に歴史あり⑤ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)私にとって65年物のウイスキーにあたる貴重な友だちは、佐藤四郎君(シローちゃん)と堀江喜代彦君(ちょんちゃん)である。木町通小学校3年2組でのクラスメイト60人の中では、最も親しかった二人である。女子では三浦和恵さん(かずえ

友だち/お店に歴史あり④ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)1993年(平成5年)11月、私は厚生労働省を飛び出して、宮城県知事選挙(出直し選挙)に立候補した。相手方の候補は前副知事の八木功さん。県議会の主要会派(政党)の推薦を受けている。経済界、医師会、建設業界など各種団体はこぞって八木さ

友だち/お店に歴史あり③ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)東京大学時代の友だちは、語学クラスで一緒だった望月邦計君と鍋倉真一君。駒場のキャンパスから渋谷の繁華街まで歩いて出かけ、安酒場で飲み交わした三人組。ここに内田晴康君と平川修君が加わって五人組。「五人会」と称して、今でも年に1回は食事

友だち/お店に歴史あり② / 浅野史郎

1963年(昭和38年)4月、仙台第二高等学校に入学。私は1年H組大澤先生のクラスである。クラブ活動は水泳部に入る。クラス内というより水泳部で一緒の生徒と親しくなった。中でも目黒泰一郎君と親しかった。目黒君は牡鹿町(現石巻市)の牡鹿中学校出身。「自分は地元では秀才だったが、仙

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